検索結果(開戦 | カテゴリ : 地方・地域)

21件の検索結果(2.085秒) 2025-06-17から2025-07-01の記事を検索
京都新聞80年前、京都にB29が墜落した 当時13歳の男性「穴を掘り、米兵5人の死骸を埋めた」
京都新聞 05:00
... の主を訪ねた。 真珠湾攻撃とともに太平洋戦争が始まったのは、小倉さんが10歳のとき。「『戦艦何隻を撃沈』と、沈んだ船の名前まで新聞に載っていた。日本側がやられたことはあまり書いていない。子ども心に、うれしいというか、うきうきしました」 開戦当初は日本軍の快進撃が続いたが、次第に戦況は悪化していく。そんな中、小倉さんは小学校を卒業し… 続きを読む 「血が吹き出ていた」B29墜落現場の生々しい状況とは
山梨日日新聞太宰も同調!? 戦時の民意と高揚感 〜私の「一語白書」
山梨日日新聞 6月29日 05:00
... 館蔵) 放送中のNHKの朝ドラ『あんぱん』で、教師を務めていたヒロイン・のぶは次第に「皇国女子の鑑(かがみ)」に変貌(へんぼう)。戦争に率先協力し、教え子たちには立… ※毎週日曜掲載の元論説委員長によるコラム「私の一語白書」。最近見つかった短編の生原稿から、太宰の開戦時と敗戦後の心の動きを読み解きます。会員登録をすることで、記事の続きが読めます。申し込み当月は無料、退会は翌月以降になります。...
読売新聞幻ののらくろ 正史なりえる
読売新聞 6月29日 05:00
... いることを確認した、と報告した。 確認された戦時版よみうりは、1944年6月から45年3月までの紙面で、空襲で焼失し、読売新聞社には残っていなかった。戦前の少年雑誌で人気だったのらくろも、太平洋戦争の開戦直前に打ち切りとなり、戦後に再開されたが、作者の田河水泡が自叙伝で戦時版よみうりの連載に言及しておらず、戦中は作品の空白期とみられていた。 永島教授は連載について、米軍のB29による初の空襲や東条 ...
沖縄タイムス権力に歴史委ねる危険性 豊見城市議会、議論深まらず可決 政府に沖縄戦の検証要望
沖縄タイムス 6月29日 04:00
... 議員は戦時中に402人の特攻隊員が沖縄などへ出撃した鹿児島県の知覧特攻平和会館を視察し、解説や展示表現に沖縄戦研究との違いを感じたという。議会では「表現に違いがある以上、両方を載せることもあり得る。専門家の検証委員会が客観的な史実を示して、国民に共有してほしい」などと述べた。 当初は1941年の開戦の背景から沖縄戦に至る歴史検証を想定。「沖縄戦を含むアジア太平洋戦争の史実検証」としていたが、...
読売新聞「東洋一の軍港」呉の現実…戦艦「大和」乗組員だった父を失い、工廠で魚雷部品を作らされた男性に残る悔恨
読売新聞 6月28日 11:30
... う一つの「軍都」だった。 呉に、海軍の軍事基地「鎮守府」が置かれたのは1889年のことだ。山や島々に囲まれた湾は敵に見つかりにくく、大型船が入れるほどの水深や広さを備えていたことが理由だった。日露戦争開戦直前の1903年には、呉海軍 工廠(こうしょう) が設立され、主力艦を建造するなど重要な役割を担った。 「この世界――」の時代の呉を生きた人がいる。 大和の乗組員だった父の写真を前に、戦時中を振り ...
TBSテレビ死にに行く若者は「にこにこしとる」特攻「零戦」の整備兵を務めた104歳の証言 激戦地で撮った写真が物語るもの【香川】
TBSテレビ 6月28日 06:00
... 月の25日、昭和19年の。神風特攻隊を日本で初めて飛ばしたところが、うちの部隊だったんです」 【画像?】 太平洋戦争で日本海軍の主力だった零式(れいしき)艦上戦闘機=通称、零戦(ゼロせん)【画像?】。開戦当初は機動力の高さで連合国軍を圧倒しました。 【画像?】 しかし次第に性能は劣るようになり、戦争の末期には爆弾を搭載して敵艦に体当たりする「特攻作戦」に使われました。 戦地でこの零戦の整備にあたっ ...
中日新聞躍動する竜と馬 福間香奈女流王位、フルセットの激闘制し防衛
中日新聞 6月25日 22:29
... 勝負第5局、伊藤沙恵女流四段(左)と対局する福間香奈女流王位=東京都渋谷区の将棋会館で 持ち時間各4時間のうち、残りは福間18分、伊藤14分。 先手の福間が相振り飛車の戦型から2八飛(23手目)と振り戻し、対抗形の戦いとなった本局。伊藤は先手の手損をとがめようと、早々に1五歩(26手目)と突っかけたが、それ以上の追及は自重。福間は玉形を整えてから1六歩(47手目)と開戦し、1筋に竜をつくった...
福島民報開戦前夜 ふくしま参院選(下) 野党追い風に乗れるか 共産が擁立影響いかに
福島民報 6月24日 10:34
参院選の前哨戦に与野党が位置付ける都議選で、自民党の獲得議席数は過去最低を下回り大敗した。「政治とカネ」問題に対する都民の目は厳しかった。「自公政権への不信感の表れだ。参院選で政治改革をしっかり訴えたい」。立憲民主党の石原洋三郎は都議選から一夜明けた23日、福島県須賀川市などで街頭演説に立ち、政権交代こそが最大の政治改革だと声を張り上げた。 昨秋の衆院選で立民は、自民党派閥裏金問題への批判の高まり ...
毎日新聞戦争の記憶、絵本に 帝塚山大生 体験者へ聞き取り /奈良
毎日新聞 6月24日 05:07
... 長の中野重宏さん(97)。「親戚のお兄ちゃんに赤紙が来て中国に出征した。1カ月ほどで戦死し、奈良駅まで遺骨を迎えに行った。勇ましい名誉ある死と言われたが、悲壮なものだった」と話した。 1941年の日米開戦は中学に登校する途中、猿沢池の近くにあったラジオ塔のラジオ放送で知った。「アメリカには絶対に勝てるはずがないと思った。家が映画館をしていたので米国映画に幼少の時から親しんだ。一家に1台自動車があり ...
朝日新聞昭和100年展、市民らが寄せた資料並ぶ さぬき市歴史民俗資料館
朝日新聞 6月23日 10:15
... 9日は午前11時から展示解説もある。 資料の約半分は市民からの寄贈。自宅を建て替えるなどの際、「貴重なものがあるかもしれない」と市に相談し、タンスなどから見つけて集めることもあるという。 太平洋戦争の開戦時に津田町立高等女学校(現・県立津田高校)で開かれた祝賀会の写真や終戦直後の墨塗りの教科書など、戦争との関わりを示す資料もある。旧津田町にあった巨大迷路のレジャー施設「キャプテン・トム」の1986 ...
琉球新報戦世にさせない 続く苦悩 胸に秘め 体制、教育変化に思い 久米島出身 元日本兵の手記 きょう慰霊の日
琉球新報 6月23日 05:00
... 。「個人攻撃になるなら話しません。軍国主義を問題にするなら話してもいい」と語っていたという。(1面に関連) 父親は1905年に生まれ、いったん兵役を終えた後、久米島で教員をしていた。手記によると、日米開戦の前日となる1941年12月7日(日本時間)、赤紙で再召集された。「しばらく口もきけない涙もでない。次々にあいさつに来る方々は、異口同音におめでとうと言う。心にもないあいさつと思う。当時はそう言わ ...
福島民報開戦前夜 ふくしま参院選(上) 自民「農業票」悩む距離感 公明苦慮 どうなる推薦
福島民報 6月22日 10:20
... 党が参議院で過半数を維持できるのか、野党が伸長するのか。鍵を握るのは福島県を含め全国で32ある改選1人区だ。コメなどの物価高対策が主な争点となる見通しで、政党や支援団体はどんな戦略で夏の陣に臨むのか。開戦前夜の動きを追った。(敬称略) 自民党の現職森雅子は21日夜、相馬市で開いた自らの総決起大会に間に合わなかった。国会で野党7党が提出したガソリン税の暫定税率廃止法案を巡り、異例の土曜審議が長引いた ...
沖縄タイムス[社説][沖縄戦80年]第32軍崩壊 軍は住民守らなかった
沖縄タイムス 6月22日 04:01
... のを認めなかったら、どういうことが起きるか。 住民は行くあてもなく戦場をさまよった末に、ばたばた死んでいった。 司令官の二つの判断が住民に多大な犠牲を強いる結果を招いたのである。 ■ ■ 太平洋戦争の開戦当初、帝国日本が戦争目的として掲げていたのは「自存自衛」「大東亜共栄圏の建設」だった。 大戦末期になって戦争目的が「国体護持」「皇土防衛」に変わり、沖縄は「皇土防衛」のための「前縁」と位置付けられ ...
毎日新聞山口・長生炭鉱の大規模落盤 放置された労働者の遺骨 朝鮮半島「歴史問題」シンポジウム 7月13日東京 /埼玉
毎日新聞 6月21日 05:03
... 海岸。瀬戸内海に面した沖には2本の巨大な円筒状のコンクリート製の建造物が突き出ている。海底炭鉱「長生(ちょうせい)炭鉱」跡。大きな筒は排気、排水用の「ピーヤ」と呼ばれる施設の遺構だ。同炭鉱は太平洋戦争開戦から2カ月後の1942年2月、大規模な落盤のため、朝鮮半島出身の労働者136人と日本人47人の計183人が亡くなった。事故は「水非常」と呼ばれた。 戦時体制下の労働力不足の中、各地の炭鉱では多数の ...
毎日新聞書類、文字が語る戦争 県文書館企画展、初の試み 行政文書から民間資料まで /埼玉
毎日新聞 6月21日 05:03
... 戦時下の埼玉に生きた人びと―」が開かれている。同館が所蔵する県行政文書や地元企業の書類、民間から収集した資料が展示され、戦時下の人々の暮らしや戦争との関わりを読み解ける内容となっている。 1941年12月8日付で県が発した告諭では、「殉国ノ至誠」など重々しい表現を用いて太平洋戦争の開戦を伝える。同日付のビラは「県民ニ告グ」との書き出しで、県民に戦時下の心構えを示し、「勝利」「沈着冷静」「国土防衛…
長野日報旧制諏訪中の学友会誌 OBが母校へ寄贈
長野日報 6月20日 08:00
... 諏訪清陵高校)雑誌部が昭和初期に発行した学友会誌掲載の論説が冊子にまとめられ、8冊の学友会誌とともに同校に寄贈された。会誌からは「自治」「質実剛健」の校風が当時から大事にされていた背景がうかがい知れ、開戦直前の国の在り方や教育論を説く内容もある。同校の倉澤克弥校長は「大変貴重で素晴らしい題材をいただいた」と感謝し、「生徒にもぜひ読んでもらい、時代を探究してほしい」と話している。 ◇◇◇◇◇ 全文は ...
琉球新報戦争中の記事を「今の言葉」で再編集 京都新聞が「戦時新聞」発行 沖縄戦の報道も
琉球新報 6月20日 05:00
... 目指す。 再編集の対象は、1941年12月から45年9月に発行された京都新聞と、その前身の京都日出新聞、京都日日新聞。記事と見出しは分かりやすい言葉に訳すが、ニュースの扱いは掲載当時と変えていない。 開戦83年に合わせた1号は、41年12月の記事を抜粋。トップ記事は「米英に宣戦布告」の見出しと、大本営発表を基に日本軍による真珠湾攻撃を「大成功」と大きく伝えている。 45年4月の記事を集めた26号で ...
琉球新報「戦時新聞」負の歴史映す 当時の情勢、今の言葉で再編 京都新聞
琉球新報 6月20日 05:00
... 目指す。 再編集の対象は、1941年12月から45年9月に発行された京都新聞と、その前身の京都日出新聞、京都日日新聞。記事と見出しは分かりやすい言葉に訳すが、ニュースの扱いは掲載当時と変えていない。 開戦83年に合わせた1号は、41年12月の記事を抜粋。トップ記事は「米英に宣戦布告」の見出しと、大本営発表を基に日本軍による真珠湾攻撃を「大成功」と大きく伝えている。 45年4月の記事を集めた26号で ...
朝日新聞「丈夫に育てて」 戦地から父親の思い綴った44通、各務原で展示
朝日新聞 6月18日 11:00
... 手紙の主は現在の同市大佐野町出身の太塚義一さん(1906〜90)。市歴史民俗資料館によると、1923年に呉海兵団に入り軍艦乗務員になった。退役後、エンジン整備士として各務原陸軍航空廠(しょう)で勤務。開戦後の43年、軍属としてジャワ島に派遣され、「第二十野戦航空修理廠」に配属された。 当時の日本は「大東亜共栄圏」をスローガンに東南アジアに進出。ジャワ島にも42年に日本軍が上陸し、拠点を設けて敗戦ま ...
読売新聞父と別れ満州逃避行 引き揚げの経験を語り部として伝える
読売新聞 6月18日 05:00
... 北本市) 牡丹江などの場所を示しながら、満州での生活を語る浅野さん(5月15日、北本市で) 1934年に満州(現中国東北部)で生まれ、主に北部の牡丹江で育ちました。穏やかな暮らしは41年の太平洋戦争の開戦で一変しました。「外国人と遊ぶな」と親から厳しく言いつけられ、街中には戦車が走り回っていました。 国民学校5年生の頃、「ソ連が攻めてくる」といううわさが広がり、すぐに避難することになりました。南満 ...
毎日新聞写真で伝える戦争報道 開戦前夜から現在まで 23日まで 広島・中区 /広島
毎日新聞 6月17日 05:04
報道写真展「戦争と平和」(新聞通信調査会など主催)が、被爆建物の旧日本銀行広島支店(広島市中区)で23日まで開かれている。太平洋戦争の開戦前夜から現在に至るまで、通信社が配信した100枚以上の歴史的瞬間の写真を紹介する。被爆80年特別企画として、原爆投下直後の広島の記録写真も展示している。 1月に同名の写真展を東京で開催し、反響が大きかったことから広島開催が決まった。共同通信社(戦前は同盟通信…