検索結果(真珠湾攻撃 | カテゴリ : 地方・地域)

12件の検索結果(0.010秒) 2025-06-17から2025-07-01の記事を検索
西日本新聞「やめたら墓に入れん」焦土からの再起 戦後再開にこぎ着けた山笠...
西日本新聞 06:00
<大戦完遂と米英撃砕の意気を誇示する決戦下の福博名物「祇園祭」> 1942(昭和17)年7月16日付の福岡日日新聞(現在の西日本新聞)は、こう博多祇園山笠の追い山笠(やま)を報じた。約7カ月前の真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まり、日本が攻勢をかけていた時期。当時の空気をうかがい知れる。 戦況は悪化。45年6月19日の福岡大空襲で、福岡市中心部は焦土と化した。「恐る恐る玄関から顔を出すと、(米爆撃機)B ...
京都新聞80年前、京都にB29が墜落した 当時13歳の男性「穴を掘り、米兵5人の死骸を埋めた」
京都新聞 05:00
... ます。米兵の足を掴(つか)んで引っぱり穴に入れたものです」。当時13歳だった小倉幸次さん(93)=京都府京田辺市=から、京都新聞社に手紙が届いた。80年前、少年は何を目にしたのか。手紙の主を訪ねた。 真珠湾攻撃とともに太平洋戦争が始まったのは、小倉さんが10歳のとき。「『戦艦何隻を撃沈』と、沈んだ船の名前まで新聞に載っていた。日本側がやられたことはあまり書いていない。子ども心に、うれしいというか、 ...
上毛新聞《戦後80年》「軍神」岩佐直治中佐の胸像、新たに1体の現存を確認 赤堀歴史民俗資料館(群馬・伊勢崎市)で2体並べて展示
上毛新聞 6月28日 11:30
並んで展示された岩佐中佐の胸像。新たに着色された像(右)が存在することが分かった 真珠湾攻撃の英雄として、戦中に「軍神」とされた群馬県前橋市出身の岩佐直治中佐(1915〜41年)。戦後80年の企画展を開催中の伊勢崎市の赤堀歴史民俗資料館は、43(昭和18)年に同市内の篤志家が地元の国民学校に寄贈した胸像を公開中だが、27日までに新たにもう1体の胸像が現存することを確認した。 当時の上毛新聞によると ...
読売新聞日本軍の戦果に熱狂した「軍都」は戦況傾き一変、そして迎えた「あの日」…「加害と被害は表裏一体」
読売新聞 6月27日 11:40
... (特幹)制度を導入し、15歳以上20歳未満の男子志願者の選抜を始めた。 旧制遠野中(現・岩手県立遠野高)5年生だった伊藤宣夫さん(97)(岩手県遠野市)は45年2月、暁部隊の特幹に志願した。「人間魚雷でも何でもよかった。真珠湾攻撃に参加した兄に憧れ、骨の髄まで軍国少年だった」 関連記事 泣きながら拾い集めた下級生の骨…軍国少年を変えた被爆体験、伝え続ける「戦争は絶対にダメ」 1 2 3 戦争特集へ
秋田魁新報保存活用、問われる姿勢 連載「戦争が見えない」 第6部「記録の行方」(1)
秋田魁新報 6月25日 13:30
... 世代に引き渡すことが責務だと考えたという。 まず取り組んだのが、合併前の河辺町史や県立図書館(秋田市)が所蔵する民間の戦没者名簿から、岩見三内の出身者を抽出することだった。名前が分かったのは169人。真珠湾攻撃から終戦までに絞ると155人だった。 戦死した年齢は20代に集中し、戦没場所別では激戦地のフィリピン・ルソン島が45人で最多。結果を俯瞰(ふかん)し「我慢強い農村部の若者が連れて行かれたので ...
東京新聞<2025年 戦後80年>伊勢崎空襲の実態に迫る 市歴史民俗資料館で企画展
東京新聞 6月24日 08:18
... 目にあたり、1931(昭和6)年の満州事変から太平洋戦争までの歴史をたどりながら、米軍の作戦任務報告書や市内に残る記録、焼夷(しょうい)弾などの実物資料から終戦目前にあった伊勢崎空襲の実態に迫る。 空襲で焼けたレコード、溶けたガラス容器などを展示し、爆撃機のプロペラ、戦闘機の木製落下タンクも並ぶ。中には真珠湾攻撃に加わり、軍神の一人となった前橋市出身の岩佐直治中佐の胸像も。所蔵者の父親が中佐...
読売新聞戦争の記憶は鮮明なのに「長い黒髪の美人」だった母の顔はおぼろげ…「ごめんよ。忘れてしまいそうだよ」
読売新聞 6月23日 14:35
... に、火炎放射器を構える米兵の前に出て行ったのは10日後、80年前のきょうのことだ。日本軍の組織的な抵抗もこの日で終わった。 真珠湾攻撃の成功で沸き立ったが 当間さんの戦争の記憶は、小禄村安次嶺(現・那覇市)の自宅近くの道筋を照らし出した 提灯(ちょうちん) 行列で始まる。緒戦の真珠湾攻撃が成功したとの報に周りは沸き立ち、「勝った」「勝った」と万歳を繰り返していた。 関連記事 沖縄戦で山中を必死に逃 ...
琉球新報戦世にさせない 続く苦悩 胸に秘め 体制、教育変化に思い 久米島出身 元日本兵の手記 きょう慰霊の日
琉球新報 6月23日 05:00
... 音におめでとうと言う。心にもないあいさつと思う。当時はそう言わねばならぬ時代だった。私もただ頭を下げるのみ」 死ぬことや妻と5人の子どもを思い、眠れぬ夜を過ごした翌日、船で那覇に向かった。那覇の町では真珠湾攻撃がラジオで流れ、万歳の声が聞こえてきた、と振り返る。 佐世保を経て久米島に送られ、海軍通信隊で食料の世話係を命じられた。久米島北原で9人が虐殺された時、離れた集落に食料調達に行かされていた。 ...
FNN : フジテレビ「戦争や原爆の記憶」を芸術で表現 被爆80年で特別展 広島市現代美術館
FNN : フジテレビ 6月21日 18:11
被爆80年の節目に、戦争や原爆の記憶を表現した美術作品の展示会が、広島市現代美術館で始まりました。 日本地図を取り囲み、真珠湾攻撃を画策する旧日本軍の要人たち。 その上には、広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」真珠湾攻撃の裏で、原爆投下に向けた準備が進められていた事を示した模型です。 広島市現代美術館で、被爆80年事業としてきょうから始まった特別展「記憶と物」では、戦争や原爆の記憶を表現した ...
琉球新報戦争中の記事を「今の言葉」で再編集 京都新聞が「戦時新聞」発行 沖縄戦の報道も
琉球新報 6月20日 05:00
... 見出しは分かりやすい言葉に訳すが、ニュースの扱いは掲載当時と変えていない。 開戦83年に合わせた1号は、41年12月の記事を抜粋。トップ記事は「米英に宣戦布告」の見出しと、大本営発表を基に日本軍による真珠湾攻撃を「大成功」と大きく伝えている。 45年4月の記事を集めた26号では、「沖縄本島に敵上陸」をトップに置く。日本軍が「迎撃し、激闘中」であり、神風特攻隊は「敵に痛烈な損害を与えた」と活躍を大々 ...
琉球新報「戦時新聞」負の歴史映す 当時の情勢、今の言葉で再編 京都新聞
琉球新報 6月20日 05:00
... 見出しは分かりやすい言葉に訳すが、ニュースの扱いは掲載当時と変えていない。 開戦83年に合わせた1号は、41年12月の記事を抜粋。トップ記事は「米英に宣戦布告」の見出しと、大本営発表を基に日本軍による真珠湾攻撃を「大成功」と大きく伝えている。 45年4月の記事を集めた26号では、「沖縄本島に敵上陸」をトップに置く。日本軍が「迎撃し、激闘中」であり、神風特攻隊は「敵に痛烈な損害を与えた」と活躍を大々 ...
中国新聞大和に乗った少年工、100歳の教訓 広島市の中倉さん「考え...
中国新聞 6月19日 08:00
大和の試運転に参加した思い出などを語る中倉さん 旧呉海軍工廠(こうしょう)の少年工として戦艦大和に乗った男性がいる。広島市佐伯区の中倉勇さん(100)。真珠湾攻撃に加わった「特殊潜航艇」の航行試験にも参加した。時代の空気にのまれ、関わってしまっていた戦争。「慣れほど恐ろしいものはない。考えることを放棄してはいけない」との思いを強くする。