検索結果(カンボジア | カテゴリ : エンターテインメント)

7件の検索結果(0.086秒) 2026-01-29から2026-02-12の記事を検索
Musicman-netMANAKANAとchao!は「生活を取り戻し、音楽を取り戻す。」【連載】After Music -音楽の次に選んだ仕事- vol.1
Musicman-net 10日 12:00
... っていう音楽だったんですよ。というのも主メロが歌じゃない、何かの楽器でなきゃいけないっていう音楽が初めてで。そしたらKANAが笛を見つけて。「この笛のこれ、これが良い」って。 chao!:あれちゃう?カンボジア行った時のマッサージ屋でな。 KANA :そう!インドにバーンスリーって笛があるんですけど、それ一本だけの音楽がBGMで流れてたんです。それが当時の私にとってはとても刺激的で。「これやりたい ...
朝日新聞飛鳥で日本流考古学を伝授 奈文研×カンボジアの人材育成事業が再開
朝日新聞 10日 08:00
... 、カンボジア人の研修生たちを指導する山藤正敏さん(左端)=2026年1月29日午前10時58分、奈良県明日香村飛鳥、塚本和人撮影 [PR] 奈良文化財研究所(奈良市、奈文研)がカンボジアの考古学者らに、日本の遺跡の発掘調査技術などを伝える人材育成プロジェクトが再開された。1月末には専門家5人が来日し、奈良県明日香村の石神遺跡で発掘調査の実習に臨んだ。奈良で学んだ「卒業生」は80人を超え、奈文研とカ ...
マイナビニュース「医者や知識人などすべてが殺された」ポル・ポト大虐殺の真相に迫る 人気女性ラッパーがカンボジアで元ギャングを直撃&スラム街に潜入
マイナビニュース 9日 07:00
... Awichのカンボジア現地取材の模様が放送される。 カンボジアを現地取材したAwich カンボジアの国民的スターと夢の共演も 1970年代の後半、カンボジア当時の人口の4分の1にあたる約170万人の犠牲者を出したといわれる、ポル・ポト率いるクメール・ルージュによる大虐殺。Awichはカンボジアを訪れ、元ギャングを直撃取材しながらスラム街にも潜入し、ポル・ポト大虐殺の真相を追う。さらに、カンボジアの ...
日本経済新聞大石芳野 私の履歴書(9)ベトナム
日本経済新聞 9日 02:00
カンボジアを取材しながら、ベトナムが気にかかっていた。泥沼化したベトナム戦争が一応は終結したのが1975年。すぐにも取材に行きたかったが、戦後復興で手いっぱいの人々の邪魔をしたくないとの思いもあった。 6年待ち、今なら人々は話をしてくれそうな気がした。私が聞きたかったのはただひとつ。「あの戦争のさなか、あなたはどこで何をしていましたか」。その問いをひとりでも多くの人に投げかけるつもりだった。81. ...
日本経済新聞大石芳野 私の履歴書(8)事実と真実
日本経済新聞 8日 02:00
累々たる屍(しかばね)。無尽蔵に掘り起こされる骸骨。1980年と81年に私がカンボジアで聞いたのは、悪夢などという言葉ではとても言い表せないような話だった。 プノンペンのツオルスレン監獄を取材した。中央政府直轄の監獄で、ポル・ポト時代の虐殺現場としてとりわけ悪名高い場所だ。処刑された人はわかっているだけで1万4499人と当時聞いた。 つい先年まで市民の殺害がおこなわれていたこの場所に立つと、その. ...
日本経済新聞大石芳野 私の履歴書(7)カンボジア
日本経済新聞 7日 02:00
... ニューギニアの取材をしていたころ、カンボジアでクーデターが起きた。国王シアヌークを追い落としたロン・ノル政権の成立をきっかけに内戦が本格化。その混乱の中で全土を掌握したのがポル・ポトだった。異様な原始共産主義を奉じるこの人物が恐怖をもって国を支配し、200万人ともいわれる人々を虐殺したことは現代史の厳然たる事実である。 だが当時の日本では「虐殺は噓だ」という人が多くいた。カンボジアの混乱はベ...
日本経済新聞大石芳野 私の履歴書(4)心の約束
日本経済新聞 4日 02:00
1966年春、私を含め8人の学生がベトナム・カンボジアに渡航した。 目的は学生同士が討議し理解と交流を深めることにあった。南ベトナムでは軍政色の強い体制下で米国の本格介入が進んでいた。一方、共産主義体制の北ベトナムでは米軍の空爆が続いていた。 南ベトナムの首都サイゴンの空港では遺体が運ばれているのを目にした。人々の目に強い緊張が感じられた。 兵士の遺族に会い、孤児院を訪ねた。墓地に行ったときのこ. ...

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